ギラギラしていたアシスタント時代

当時の自分が友達にいたら、とても仲良くなれないなぁ・・








(エピソード02)




これで頑張れなきゃ、終わりだと思っていた。






高校生の自分から見て、




大人になったら、




社会人になったら、仕事がすべて。





仕事ができる人でなければ、世の中は誰も相手にしてくれない。





そう思っていた。







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【最年少にこだわる】




4月1日、初出勤を迎えた。




初日は、覚えることはたくさん




そしてなにより、めちゃくちゃ足が痛かったことを覚えている。






ずっと立って、先輩たちの仕事を見て覚えることが仕事だったからだ。








それから、一週間、2週間・・・


 ずっと立って、見て、覚えることだけしかできなかった。




何もできない申し訳なさ、不甲斐なさ






営業終了後の練習に気持ちを爆発させるには




十分な悔しさがあった。






同期の誰よりも早く、技術テストを合格することだけが目標だった。





最初のシャンプーテストは皆、不合格




 2回目のテストで、何人かの同期と一緒に合格をもらった事を覚えている。






僕は、一緒だということにも腹が立っていたw




その後もずっとそうだった、




飛び抜けていなければ気がすまなかったのです。










【半端じゃない気合】




地方出身の新人は自分だけだった。






家賃は6万、


それに加え、光熱費、食費がのしかかって来る。




その当時の給与は13万弱。






とにかく飢えていた。





家に帰ると、電気がつかないこともあった。




携帯電話も「お客様のご都合により・・・」状態。






あと1500円で、一週間後の給料日までどう生きよう・・・








美容室でのお昼の時間、




同期の仲間が


当を親に作ってもらっている光景を見て、






ムカムカが収まらない時もあった





対に負けられねぇ…





と思っていたのも覚えている







同期の家には、




ご飯があり、洗濯だってやってくれるのだろう。




学生の頃には買えなかったものも、




13万の給与でも十分に手に入っていく光景は






自分の野心にさらにをつけるようだった






早くまともな生活をおくりたい・・・




貧乏生活は、




最大のやる気パワーの原動力だった。






【誰よりも濃く!誰よりも長く! 練習をする!】




夜中0時を回ることは普通だった、




帰り際に、ほかの美容室に光が残っていると




落ち着かずにはいられなかった






当時は


 下積みの3年間は我慢。




自分がお店の誰よりも、




嫌、東京の美容師の誰よりも多く、練習する覚悟はあったのだと思う。











人の価値は年収がすべて





 年収はバロメーターだと、思っていた。







なんだか嫌な感じの人ですね^^;








でも、今の自分があるのもこの思考からが始まりであり。






売上を追求すること事態は今でも決して、悪くないことだと思っています。





なぜなら、


売上はお客様の満足度のバロメーターだと考えているからです。












ギラギラしていたアシスタント時代、





そのままの自分では、








その先のスタイリスト、そして店長になることは不可能でした。










つづく。

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